「ノーと断ることはやさしさよ。あなたはメイドではないでしょう。自分のニーズを満たすことはとても大切なことだし、それを子どもに学んでもらうことも必要よね。例えばね、目の前に自分の水があって、それを飲みたいって言われても、これは私のだから自分のを飲んでって、そう言ってもいいのよ。」絶賛いやいや期の息子と格闘中の自分、訪問プログラムで毎週1回、家に来てくれるエマの言葉に心の中でおんおんと泣いた。
やろうと思えばできてしまうことをどこまでやって、どこまでやらなければいいのかわからない。専業主婦をしていると、やろうと思えば子どもの要求に全て答えられてしまうのだ。
デンシャノリタイ、オミズイキタイ、マンゴータベタイ。2歳になった息子氏、いつの間にか「〜したい」という動詞を覚え、全身でその欲求を伝えてくる。その度に、できることはやろうと、駅までの往復40分歩いて電車に乗ったり、ご飯でフルーツを多めにしたり、ちょっと寒くても噴水で遊ばせたり、でも結局それで風邪を引いてしまったりで、そろそろ自分のやり方に疑問を感じ始めていたのだった。
自分ができるのはここまで、とそれ以上”やらない”というバウンダリーを引くことも大切なのよ。あなたは十分よくやってる ー エマの言葉に勇気をもらい、早速試してみた。お昼ごはんの時間である。すでに空腹と疲労で息子はぐずり始めている。急かされながら、パンにジャムを塗り、チーズと一緒に出した。そうすると、トレジョーでラズベリー買ったことを覚えていたのだろう。「ラズベリ、ラズベリ、ラズベリータベタイ」と言ってきた。ここまでは想定範囲内である。野菜がわりにラズベリーをあげようじゃないか。
ラズベリーを得た息子はホクホクと自分の机に自分のお皿を持っていき、黙々と食べ始めた。母は平然を装いながら内心はドキドキである。(・・これで食べなかったらどうする、昨日の朝食べ残した目玉焼き・・今日の朝食べ残したおにぎり・・他には何がある・・・冷蔵庫にすぐに出せて息子の興味を引くであろうものは、ない・・)そして数分後、案の定、きた。「ラズベリー、モット」「チーズ、モット」ジャムパンを食べずに好物のラズベリーとチーズだけを食べたやつがいる。
いつもだったらここで負ける。お昼寝の直前、空腹でお昼寝が短くなっても困る。食べないよりは食べてくれた方がマシだし、しかもちょっと手抜きだし、罪悪感もある。そんなこんなでラズベリーかチーズをそのまま差し出してきた。
でもいまは違う。これで母である自分が折れ続けたら、「出されたものを食べる」ということを学ばずに成長してしまうのだ。いまここで食べないことによって、お昼寝が短くなるかもしれない、それで夜ぐずってしまうかもしれない。でも、そういう自分の不都合よりも、「出されたものを食べる」ということを学んでもらうことの方が大切だと言い聞かせる。
冷蔵庫に手が伸びかける自分をグッと噛み殺して伝える。「ラズベリー出したときに言ったでしょ、パンもチーズも食べるって。ラズベリーもっと食べたいのはわかるけど、これ以上はもう出ない。」しばらくバタバタと息子は暴れ続けた。もう疲れているなと寝室に連れて行ったら、なんと驚くべきことに、自ずとトコトコと寝室から出て、椅子に座り、ジャムパンを食べ始めた。
そもそも、要求に応えられないことに罪悪感を感じる必要はない。朝から公園に行って、急足で買い物をしてエマを迎えて、足元で暴れる息子とともに作れるものにも限界がある。母にも母の体力があって、スケジュールがあって、冷蔵庫やお財布の都合がある。他人と生活するということはお互いのバウンダリーを尊重し合うことだと、そう学び合うことも子育てだと学んだ、ある日のことでした。
コメントを残す