渋滞の中、車を運転しながら考えたことがある。人生を快適に過ごせるかどうかは、運転手の視点でいるか、この渋滞を上から見下せるかどうかに、違いがあるのではないかと。
運転手の視点のままでいると、イライラする。無理矢理に列に割り込んでくるせこい車や、信号への反応が遅いのろい車にイライラする。当てつけのようにクラクションを鳴らしてくるお盛んな車にイライラする。さらには、なんでここの信号はこんなに早く赤になるのか、なんでランダバウトをあそこに作ったのか、環境にイライラし始める。イライライライライライラ。自分の車が目的地に早く辿り着けること、それのみにばかり気がいくのである。その目的において他の車や厄介な交通事情はただひたすらに邪魔なもの、目の敵なのだ。
それに辛くなって、自らの意識を窓から車の上に飛ばしてみると何が起きるだろうか。・・・なんと、1つ1つの車が同じ困難に立ち向かう仲間に思えてくるではないか。(どどーん、世紀の大発明?)そう、結局は、みーんな早くお家に帰りたいのだ。どこかへ辿り着きたいのだ。
同じ気持ちを抱いている、血の通った人間がそれぞれの車をちまちまと運転しているんだ。そう考えはじめると、渋滞もまあしょうがないな、と捉えられるようになった。そして、今までは絶対にできなかったアレ、混雑時に横から入ってくる車に対して広い心でどうぞ、ができるようになった。
変えられない環境を味方にする。それは自分の視点ばかりではなく、もっと高いところからも状況を俯瞰してみること。すると、なーんだみんなつまるところ一緒ジャンと、トゲトゲした孤独な気持ちがスッと和らいで、難しい環境にうまく溶け込んでいけるような、そんな気がした最近のことでした。
コメントを残す