滞米日記「まだ、できないだけ」

秋が来た。窓の外に見える木の上部が黄色く色づき、公園にはススキが稲を身にまとう。半袖では少し肌寒さを感じるようになり、夜は半袖短パンに羽毛布団で眠ると最高に気持ちが良い。こうしてスーハーとだいすきな秋を迎え入れて油断していたら、もうだめだ病が口から入ってきた。あはは。

定期的にやってくる。嵐のように無能感に襲われる。わたしには一生できるようにならない、と自分の能力に絶望する。頭では、“まだ”できないだけ、訓練でどうにでもなる、ただ時間がかかるだけ、とはわかっているのだがどうも心がついていかないことがよくある。今回のもうだめだ病は、英語に対してであった。(出たァ)

滞米歴5年、いまだ言いたいことが自然な言葉で出てこない。家賃の交渉もお誕生日のメッセージも、公園で他の子どもと渋々話さなければならぬ時も、ゔッとつまる。メールやメッセージならChatGPTを使えばいいが、そうやってAIに頼り続け、永遠にネイティブたちの言葉が自分の言葉にならないことにも嫌気が差す。

日本語訳からは考えられないような英語を使いこなしている人がいれば、それはどの教材の何ページのどのあたりに書いてあるんですかァ??と必死に教科書のページをめくり自分のやってきたことを疑い、焦る自分がいる。あはは。

ただ、5年も経てば、いちいち落ち込んでられんので、英語力不足への感度が下がり、伝わればいいや、なんとなく分かればいいや、とそんなに気にしていなかったのだが、ふと友人と将来の仕事の話をしていて、今後やりたいことをやっていくには言語力が壁なんだよね、と自らのハードルが思わぬ形で言葉となり、そしてそれにそうだよね、と共感してもらったことがきっかけである。(彼女はわたしの英語力を全把握)ああ、そうだよな、そうなのだ、言語が壁なのだ。わかっていた現実が、他人の意図せぬ同意によってより突きつけられた。ガーン。

周囲を見渡せば、日本人でも、現地の人やいろんな国の人と自然とやりとりをしている人はたくさんいる。そうやって、周りの人が難なくやっているようなことが自分にはできない。・・・そうやって、周りの人が難なくやっているようなことが自分にはできない。

“そうやって、周りのが難なくやっているようなことが自分にはできない。”

ドーン。わたしの問題はここにある。軽率に他人と比べ、自分のやっていることを軽視する。周りの人がどうか、ではなく5年前このアメリカの地に降り立った時の自分と比べてみてはどうか。そして、アメリカで生きている日本人たちは、難なく、自然な英語を使いこなせるようになっているのかということは言うまでもなく、英語を話せるようになる、ということは、“自分にとって”かなり挑戦的なことではなかったか。

過去の自分と比べることの大切さと、自分基準で今やっていることの難しさを受け入れること。そうやって、今回のもうだめだ病(英語編)を克服しつつある今週のことでした。

ごもっとも、あはは


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