「1歳になったとか、2歳になったとか、1年1年を積み重ねていくこと、それが子育てにおけるマイルストンなのではないでしょうか」息子が生後3ヶ月のとき、日々の前進感を感じられず、子育てにおけるゴール設定について、辻仁成氏のラジオで相談した時の回答である。ぼーっとしてたって時は経つじゃないか、毎年やってくる誕生日がゴールというのはどういうことなのだろうか、とその回答は、コーヒー豆を生でかじった時のような強烈な苦みを口に残して去っていった。
息子が半年ほどで離乳食を始めたとき、絶望したことがある。「コップから水を飲む」という自分たちが当たり前にしていることができないのだ。コップを吸うと水が飲めるということを知らない。コップを持つことはおろか、そのコップを口に運ぶことも知らない。こんなことも1つ1つ教えていかなきゃいけないのか、とスカイツリーを下から仰ぎ見たときのようにゾッとした。
あるとき、祖母が母の子育てについて教えてくれた。「昔ね、あなたのママにね、登山用のキャリアーみたいなのにあなたたち双子を背負わされて、雨の中、ディズニーランドに行ったことがあるのよ」「え〜バーバがそんなことしたの!想像できな〜い」(祖母が子供のために汗をかくイメージはない。あはは。)「だって、あなたのママがね、とにかくこの子達に刺激を与えなきゃいけないからって、必死に言うのだもの」すると、母。「だってお医者さんに双子たちの脳みそが空っぽだって言われちゃったから」そんなこと言われちゃうの、それはひどいね、とみんなで笑いながら、ちょっと泣いた。
どうやら、子育ては目的地を知らぬままに、ジャングルをかき分けて進んでいくようなもの、のようだ。歩く歩道の先にあるウォータークーラーの水と、途中で巨大グモや嵐に襲われながら、なんとか自分たちなりに対処して、たどり着いたきれいな湖の水では、その水の価値は全然違う。今までは、動く歩道の上から、それを動かす親がいることを知らずに子育てを捉えていたのだな、と自らの無知や恩知らずを反省するとともに、どうにかたどり着いた湖に少し安心した、そんな息子の2歳の誕生日の自分のことでした。
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