やりたいこと、できること、好きなことを考えて、それが実現できるキャリアを見つけること。これにかなりの苦手意識がある。初めての就活がうまくいかなかったからである。こうやって文章を書きながらも苦い経験が蘇り、息が苦しくなって、勝手に涙がちょちょぎれる。
人生の目標を水泳のタイムという形で自動設定されてきた自分にとって、自分の人生は自分で進めていくものである、ということを就活で初めて突きつけられた。そしてそこから逃げるように、水泳ばっかりの人生だったから、みんなにできることが自分にはできない、と思考停止した。あはは。
「あの時のお前は社会をなめていただけだ」と父は言った。自分で就職先を見つけられなかったからといって何も自分を全否定することはない、と慰めの言葉だった。そして時間が経ちようやく、自分は社会に認められていないのでも、やりたいことがないのでもなく、単にそれらを突き詰めて考えずとも、それを相手にわかりやすく伝えずとも、やりたいことはどっかからやってきて、社会はそれを受け入れてくれると甘えていた、と思えるようになった。現に、大学時代の就活中のわたしのTwitterを見ると、「肩みりゃわかるでしょう もうしゃべりたくない笑」などと甘えたことをぬかしている。非常に恥ずかしい。
アメリカでのプー花子生活の中で、自分なりに自分と向き合い、やっと、人の「心」と「可能性」に関係のあることをやって生きていきたい、ということがわかってきた。でもいま、次の一歩を踏み出せないでいる。やりたいことがわかったはいいけど、次どうすればいいのさ?という状態である。そしてまた日々のやるべきことに自分をうずめて誤魔化してしまう気がする。
だからどうやって自分がここから道を作っていくのか、この日記で楽しもうと思った。アメリカでのキャリア作り、米キャリ日記であーる。パチパチ。ゴールは職につくことではなく、自分がやりたいと思ったことをいかに実現できるか、その過程を楽しむことにある。どうなるかな。
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