何かに熱中する横顔ほど素敵なものはない。その純粋さにグッと胸をつかまれたことのある人は多いのではないだろうか。
友人がアペリティフの最後の一品としてフィッシュボールを作っていた。周囲では子どもたちが走り、叫び、跳ね、ノォォォォ!という躾が部屋を行き交っていた。オーブンにそれらのボールを入れる直前、彼女は最後の仕上げにパン粉をつけていた。そして、その横顔に気がついてしまった。
キッチンの光に照らされた手入れの行き届いた水々しい肌。彼女はその目尻に柔らかいシワを作りながら微笑んでいたのである。チュンチュンポカポカと、ボストンの極寒の冬に突如として現れたお花畑のようだった。あったか〜い、その表情にはみんなが集まって場を共有していること、自らの手料理を振る舞うことなどの喜びに満ち溢れていた。
肉なのか魚なのか、たねにパン粉をつけること、それは手間なのである。メ・ン・ド・ク・サイ(オモテナシの反対語てきな、はは)小麦粉、卵、パン粉と順を追っているつけていくうちに指先がこれから揚げられるんですか?とばかりにその粉たちをまとってカエルの指のようになるし、周囲の机や床は粉まみれになるし、わたしだったら、子どもたちのカオスも相まって、それはもう猛吹雪のような表情でパン粉をつけていたことだろう。

残り物のお裾分けで豊かな食卓になった
もうごはん作れない!楽するぞ!と冷凍食品ばかりを使った週があった。ごはん作りを手間と認定し、排除したのだ。するとわかったことがある。食べているのに、満たされない。あ〜あ、つまんない、とお腹がわたしを何度も冷蔵庫に連れていった。
「手間だけど、ちょっとやれば済むことなのよ」祖母の言葉も思い出す。そう、手間こそが、日々のちょっとしたうるおいなのだ。料理のおいしいところなのだ。
あの横顔を目の当たりにして以来、日々料理をする中でメンドクサッという言葉が喉から込み上げてきたら、自分もお花畑のように微笑むようにしてみている(コワッ)。するといつもよりか、料理の手取りが軽くなる気がした、そんな今週でした。
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