Life of T

アメリカ・ボストンでの生活のこと


滞米日記「スティンギーで思い出す言葉の魔力」

月曜日の朝。リーシングオフィスでの用を済ませ、去ろうとしたとき。あるスタッフがいつものようにフレンドリーに息子に話しかけた。何を言っているのか全く理解ができず、目の前の出来事から身体が離れ自分はまた夢の中に戻るような、そんな気分になっていた。あはは。息子が食べているパンについて何か話しているようだった。ただ、ある単語だけが頭に残った。スティンギーである。

スティンギー、スティンギー、スティンギー。どこかで聞いたことがあるぞ。あっ。(ビビッ)嫌なことに気がついてしまった。「ケチ」という意味だったきがする。

Samin Nosrat氏の料理本『Salt, Fat, Heat, Acid』でI was too stingy to get a $12 thermometer的な、温度を測ることの重要性を語る文脈で、とても共感できる文があって、これはどこかで使えるぞ、とメモしていたのである。

むむむむむむ?!たしかにスティンギーと言ったよな?!なんやねんアイツ!!とあとから湧いてきた怒り。息子が浴びる言葉に敏感な母歴20ヶ月なのであった。あはは。言葉には魔力がある、と思うのだ。

むかしむかしのこと、水泳のコーチに、Tkkはシャイだから、と言われたことがあった。たしかに人見知りで、大人と口の聞けない幼少期を過ごしていた。何気ないその言葉は、そんな口数の少ないわたしを認めるための思いやりによるものだったように思う。

でも、そう言われてから、そうかシャイか、シャイなんだ。自分はシャイなんだ!!うおおおおー!!とシャイであることを自分のアイデンティティとして捉えるようになった。そして無意識下で、人見知りでうまく話せない自分から成長することがなんだか期待されていないような、そこからはみ出すことが恥ずかしいような、そんな感覚を持つことになった。シャイという見えない膜を勝手に作り出し、出たいのに出られない、その窮屈感としばらく暮らすことになった。

書きながら思い出したが、ある人から言われた、本当に何気ない、バカ、という言葉も胸に残っていた。わたし、バカだじょ〜あははははぁ〜とちびまる子の山田くんのように開き直れればいいが、現実はそう簡単なものではない。

でもある日、自分はバカだから、とふと双子の兄に漏らしたら、兄が「Tkkはバカじゃない。人より頭の回転に時間がかかるだけ。それはバカということにはならない。」ときっぱりと言ったのである。嬉しかった。

そこから、自分はバカだから無理だ、出来ない、と目の前の壁に絶望するたびに、その兄の言葉を思い出し、人より時間がかかるだけだと、踏ん張れるようになった。捉え方1つ変えるだけで、こうも人の行動は変わる。

これから息子が育っていく中で、社会はきっといろいろな言葉を投げかけてくるだろう。無理だとか、そういうところダメだよねとか、そんなこともできないの、とか、思いやりのかけらのない言葉もあるだろう。だからこそ、自分は、表面上にでた行動がどんなものであれ、その奥の奥にある、息子のみならず周りの大切な人の、光る可能性に気がついて言葉にできる人でありたいなと、そんなことを考えた今週でした。



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