あけましておめでとうございます。なんとか、あけることができた2026年。
あけないのではないかと熱で震えた30日の夜。いやはじまりはその前からである。クリスマスを終えたら、次は夫の誕生日、誕生日を終えたらお正月と、イベント続きで、我が家のお料理担当ミィ、おせちを前に息絶えた。あはは。
なんとか薬で誤魔化して、ようやく2日に元旦を迎えられた、そんな我が家なのである。

そもそもなんで息絶えたのか。これを振り返り、次年以降の参考にしたい。
・除菌シートが切れて、外出先での手洗いが雑になっていた。
・SNS上で、わたしがフォローする料理人たちによる煌びやかなクリスマス料理やおせちがSNSに並び、いつのまにか作りたいが作らなきゃ、になっていた。
・元旦に友人宅に招待していただき、人様に食べていただくというプレッシャーがある中で、さらにははじめてのレシピに挑戦するという、負荷がかかりすぎていた。
・最後まで何を作るかを決め切れず、決断力や買い物時間を無駄に消耗した。
ざっと以上である。
思い返せば、私が子どものころ、母が倒れて年末年始何もない、なんという状況になったことはない。忙しない年末に完璧にお重を作り、子どもたちは朝、目を覚ませば、自動的に華やかな元旦が待っていた。
なんで倒れずにずっと作り続けられたの?と問うと母は言った。「おせちの意味を考えると作らざるを得なくなっちゃうじゃない。子どもたちがいたときはまずは伊達巻、学問でしょ。次にきんとん。お金でしょ。むふ。あと田作りは、豊作って意味だけどなんとなく家内安全というか。黒豆はまめに生きる、とか。」
いかにも母らしい、愛のかたちなのであった。そして今回の敗因はまずこれだ、と思った。このおせちの、そして料理の本質が、忙しなさからか、自分の中から抜け落ちていた。何か心のこもったものが一品でもあればそれがご馳走になる。そして心があれば身体も動く。
アメリカの年始は、駅伝もなければ、母のおせちもなければ、初詣もできなければ、なんだか、1年で1番日本が恋しくなる季節のように思う。それに体調不良が重なって元旦の特別な朝食もなく、挙げ句の果てには「こんな元旦はいやだ」と夫婦喧嘩するし、2026年、大丈夫か?という出だしであった。あはは。
それでもまだ家族3人で迎えるお正月は2回目。今まで年末年始を作り上げてきた親への感謝の気持ちを胸に、これから自分たちでどういうお正月を作り上げていくか、年々の試行錯誤なのである。
まずは心身の健康が第一ですね、今年もよろしくお願いします。
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