「自分の人生でこういう人がいたらよかったのになと思える人であろうとできているから、いまはそれでいい」人生の長期的な目標を考えるには今は日々の生活を回すのに精一杯だよねェと友人と話しながら、自分の口から滑らかに出たその言葉に安心した。おお自分よ、いまはそう思っているのか、よかったよかった。
そしてふと、養老孟司氏著「バカの壁」に書いてあった一節を思い出した。
『仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。』(あやふやな記憶かつネットからの引用、、)
大学生だったか社会人になりたてだったか、読んだ当時は、あまりしっくりこなかった。むむ、社会にあいた穴?頭の中にディグダを浮かべながら、仕事は自分で生み出すものではないのかと、穴を埋めるということが受動的に感じられたし、じゃあそもそもその穴をどう探せばいいのか、それに困っているんだ、と思いモヤっとして、そのままディグダを押し込めた。

そして数年後のいま、ふと、腑に落ちたのだ。ああ、穴ってのは、自分の人生の中で、こうであってほしかったと思うことなんだと。
一生懸命親に育ててもらったこと、周りの人との出会い、今までの経験、それら全てに心の底から感謝していることは大大大前提に、だからこそ正直に、かつ欲を言えば、もっと誰かに話を聞いて欲しかったし、もっと自分の考える力を信じられる機会が欲しかった。なんなら、なんで社会はこうなっていなかったんだ!と自分の不都合を全て周りのせいにしたい。え?あはは。え?(掴みにいかなかった自分がわるい)
でもその「欲しかった」を、周りや社会のせいにするのでなく、自分がやる。親として、家族として、友人として、ボランティア相談員として、水泳のコーチ(卵ならぬ胚)として、仕事に限らず全ての人間関係の中で自分が体現しようとすること(あくまでもしようとしている…)、いまはそのことに毎朝ベットから抜け出す意味をもらっている。
大きな目標に突き進むというよりか、そういう状態であることが、いまは心地がよい。しかもこうして“ある状態であること”を目的にしたら、死への恐怖と将来への焦りが少し減った。

世の中、不完全なことが完全なのである。満たされた状態からは、生きることへのエネルギーは湧いてこない。そうやって不完全な社会の穴を埋め続ける、それが人が生まれては死んでいくということなのかもしれない、などを考えていた、そんな今週でした。みんなには、どんな穴が目の前にあるのでしょう。
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