Life of T

アメリカ・ボストンでの生活のこと


滞米日記「祖母のがんに向き合う」

祖母にがんが見つかった。ステージは4。もう91歳、抗がん剤は使用せず、最期の時間をなるべく長く元気に過ごすと決めたようだ。

人は必ず死ぬ。そしてアメリカでは、家族にすぐに会えないということ。知っていたはずのこと、覚悟していたはずなのに、その現実が眼前に迫ってきて息苦しい。はるか下から眺めていた大仏の頭が急に目の前にドカン、と落ちてきて、さらにはその大仏が「これがアメリカで生きるということだ」と言い放っている。感じがする。

抗がん剤を打たないと聞いたその日から、新たな1日を迎えることが怖い。未来の予定を立てられない。アメリカはサンクスギビングにクリスマスとホリデーシーズン、たくさんの楽しみがあるはずなのに、心が後退りする。こうして日記を書いている間も、どこか心に穴が空いている。

「あら、タカちゃん。電話しようと思っていたのよ」電話口の元気な祖母の声を聞くたびに(幸いまだ全然元気)、もしこれが最後になってしまったらどうしようと喉がつまる。そもそも電話はあまり得意ではないし、この数十分の中で何ができるのだろう。何がベストな会話なのだろう、何を共有できるのだろう、何を祖母から得られるのだろうか。やかんのお湯が湧いていくように、祖母の中のがん細胞は成長を続け、確実に死に近づいている。

どうしようどうしようどうしようとパニック気味に鬱々とする日々、ある言葉に出会って、少し気持ちが軽くなった。「Living each day like it’s your first」白血病サバイバーで作家のスレイカ・ジャウワードは言う。(NetflixのAmerican Symphonyというドキュメンタリーで彼女の闘病生活を垣間見ることができる)

「毎日が最後だと思って生きよう、これは最悪のアドバイス。あらゆる瞬間を可能な限り意味のあるものにしようと、私に大きなプレッシャーを与えた。だから、こう考えることにしたの。毎日をはじめてだと思って生きる。小さな子供のように好奇心や遊びと共に目覚めるようにしたのよ。」

なにごともはじめて、と考えてみる。面白いじゃないか。はじめて会った人に「知りたい」という気持ちを持つように、自分の大切な人と向き合ってみる。それは今までの延長でも、未来への架け橋でもない。いまこの瞬間の目の前の人に興味を持つということである。その積み重ねの先に後悔などあるはずがない。

これなら、たとえそれがビデオ通話だったとしても、自分にもできそうだなと、少し息を吹き返した今週でした。



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