わたしの夫は毎朝、息子と散歩をする。ストレスフルな日々の心の安寧に欠かせないらしい。その間、わたしは息子がいたらできないことを必死でやる。朝の貴重な自由時間である。
夫はストレス減、息子は天然アトラクション、私は1人時間。なんと家族フレンドリーな、効率的な習慣だろうか。Win-Win-Winなのであーる。
ここ最近、また時間と鬼ごっこをしていた。たは。ふと自由時間を手にした時に、ベットに駆け込むか、椅子からどうも立ち上がれない日が続いたらそれが合図である。
そして、土曜日の朝、ふと夫と一緒に散歩に行こうと思った。今この部屋を片付けておいたら、今ご飯の準備しておいたら、今休んでおいたら、などという後が楽になるための仕込み欲求をごっくんと腹の底に押し込め、準備は完了である。

ボストンの朝は気温が9度にまで下がるようになった。夏が終わった。それでも歩いていると徐々に暑くなって、羽織っていたパーカーを脱ごうとしたら前の犬の散歩をしていたおじさんもパーカーを脱いでいる最中だった。
息子を1人で見なきゃいけないというプレッシャーもなければ、何かやらなきゃいけないという皮算用テロップも強制停止してある。久しぶりに朝日や自然の音を純粋に浴びることができた。これぞマインドフルネス。
完全には時間への不安感とか焦りが消えたわけではないのだが、夫も忙しい平日とは違って(笑)、親身に話を聴いてくれたし、腹の底に押し込めたものたちが少し軽くなった。
結局その日は、近くの市主催の家族イベントにも顔を出せたし、夕方はマッサージにも行けたし、休日であることに甘えずに自炊もできたし、稀に見るエネルギッシュな土曜日となった。

全部無料な太っ腹具合
未来の自分を楽にしたい。でも、楽になった未来の自分はまたその次の未来のために何かをする。未来を楽にしようと先取りしても、未来は楽にはならない。また他のやることが出てくるだけなのだ。
だから、たまには立ち止まって、未来とか意味とか全部捨てて、今の自分の純粋な欲求を満たす必要がある。RehaQとか中田Universityでなく大好きなポルノ(グラフィティ)のYouTubeをみてもいい。NYTimesのPodcastでなくサザンを聴いてもいい。「高慢と偏見」じゃなくて、ぼーっと「不適切にほどがある!」を観たっていい。あはは。あれ、なんだか前者のチープな足掻きが恥ずかしいな。てへ。でも、そうすればまたエネルギーが湧いてくるのだ。
「ゆっくり歩けば歩くほど、はやくすすみます。いそげばいそぐほどちっとも前にすすめません。」児童文学の名作モモの一節である。最初は意味が全く理解できなかったけれど、30%くらいはわかるようになってきたかなァ。
ふと散歩に出ようと思った自分を褒めて今週を終えることとする。また1週間頑張りましょう。
時間との戦い、つづく。
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