「心が平和だなぁ」
朝の散歩帰りに珍しくすてきな表現をする夫に、「いいねそれ、なんの言葉?だれの言葉?」と質問責めをする。
「いや別にだれの言葉とかでなくてさ、このあいだTK(わたし)が言ってたじゃん、幸せだなぁと思うと幸せじゃないときが来ると思って怖くなるって。だから平和という言葉を使ってみた。平和なら上も下もないよね」
朝の散歩を日課にして数ヶ月、夫のココロがジェットコースターから路面電車に乗り換えたようだ。心地よく、がたんごとんと動くようになった。それに付随して夫から発される言葉もあたたかくなった、ように感じる。
ということはさておき、今週末はアメリカは夏の終わりを告げるLabor Day Holidayであった。4年前、渡米したのがこの時期で(4周年パンパカパーン)それからは毎年、何年前はあれをしたなあ去年はこれをしたなあと、江ノ電から地平線に沈む太陽を眺めるように感傷に浸るのが日課となっている。そこで今回は、将来の自分へのおつまみとして連休記をつけておこう、という試みである。
土曜日、連休初日。億年ぶりに友人とのBBQをホストした。子どもたちの相手とグリル管理、実食、そして会話をどう両立させるか?みんなのお腹が満足できる具材やメニューはなにか?何時に集まるのがベストか?などなど考え始めると発作が起きそうになったので、できることをやろうと何度も言い聞かせて臨んだ。

BBQ名脇役に任命


おいしかったけれど脂を削ぐのをスルーしたのはミス

分厚いから、という理由だけでBBQにおすすめされたHallibut
淡白で箸休めな感じで、おいしかった

なめらかで甘すぎずタイプ
グリルがなかなか温まらないという痛恨のスタート遅延などはありながらも、友人家族が柔軟に対応してくれたおかげで大きく息を吸いこめるようなアクティブレストとなった。
しかしその夜、大イベントを終え、息子まるの寝かしつけも完了して、ふうと息をつこうとしたのも束の間、火災報知器がテストのように10分おき約1時間ほど大音量で鳴り続ける。せっかくの連休初日、、、と気を落としたところで夫が言った。「さすがに疲れた。でもさ、火災報知器の誤作動の止め方を知ることができたし、よかったよね」

日曜日、中日。特に予定はない。やらなければならないことを消化しよう。夫と共同ToDoリストを作り1日を開始した。夫はリース交渉の草稿作成と掃除、わたしは不用品の撮影とマーケットプレイスへの鬼出品など。
「ようやく連休中にやるべきことが片付いてきたねぇ」と近所のお蕎麦屋さんで、窓ガラス越しに通るバスを見つけては「あ!あ!」と指差す息子を眺めながら、しみじみとすっきりとした気分を味わった。


月曜日。連休最終日。Labor Day。今日も予定はない。あはは。でも、かろうじて何か、いつもはやらないことをと、近くの森(Mass Audubon’s Habitat Education Center and Wildlife Sanctuary)に散歩へ行ってみた。
「もしかしたら微妙かも」新しいことへの不安を夫に吐露する。すると夫「ものは試しだよね」
たった15分くらいで回れるようなトレイル(というか小道)があり、結果、背の高い木々とその香りに身を包まれ、大満足であった。名前の通り、野生動物の保護区らしく鹿などの動物を目撃できることもあるらしいが、今日はいつものリスしかいなかった。

気軽に森に行くことができるのはアメリカの好きなところ
夜は夫の転職祝い、唐揚げで締める。「ああ〜平和だ。こんなに平和な気持ちになったのいつぶりだろう」と夫。いや2日前な、ブログに書いたろと思いながら、そのまま気持ちの良いままにしておいた。

平和とは、心配やもめごとがなく、おだやかなことをいう。BBQや唐揚げは相手に喜んでもらいたいという気持ちがあるからこそ心持ちは平和からは程遠いのだけれど、しあわせであることはもちろん、平和であることを大切にするのもいいな、と思った今年の三連休であった。(世界情勢が平和ではないからこそ)
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