「自分で用意しなくてもご飯ができてるなんて!」義理の家族の訪ボストン中のある日、義母がとてつもなく喜んでいた。実際は、義理の妹とせっせと冷凍の天ぷらをレンチンして、トースターで温めてを繰り返し、ごはんの上にのっけただけであーる。あはは。日々当たり前にやっていることをこんなに喜んでもらえるのならいくらでもやりたいと思った。あはは。
主婦のご飯作りのエネルギー量よ。アメリカに来た当初、1番きつかったのは、英語よりも何よりも自分で動かないと食べるものが何もないことだった。日本にはコンビニがあるし、そこらじゅうにレストランがあるし、コロッケ100円で買えるし、何より母がいたし、ありがたいことに食べることに困ることがなかった。アメリカでは、徒歩圏内にあるのはジャンクフード店かスーパー、そして横にいるのは、夫である。ドーン。
自分が作る側になってからご飯まだー?と不満げに母に伝えていた子どもの自分が、よく胸に刺さるようになった。えー今日魚ァ〜、はァ、最悪〜、と文句を言っていた自分も刺さる。逆に、母に何食べたい?と聞かれ、親子丼、と答えた自分はファインプレーだったと誇りに思う。こうして自分の行いは自分に返ってくるのだ。
少し話を戻すと、義理の家族の滞在中は冒頭のように自分が何かをすることは圧倒的に少なく、自分が与えてもらう側になる方が多い。そしてわたしがおおーと感動する側になるのである。
今日感動したのは、鶏のスープ。レシピ聞いて、同じように作っているはずなのに自分のと味が違う。(なんで?)チキンの旨みがお腹に染み渡った。あとは焼き野菜。ただ焼いただけだから、と夜ごはんのおかずに頂いた。焼いただけのはずなのに、とてもおいしい。ブルーチーズ?が仕上げに乗っていて、自分の中にはなかった味付けに、忙しない息子とのご飯の時間が彩られた。他人が作ったものってなんでこんなにおいしいのでしょうね。

自分が色々なことを経験すると、その分、感謝の幅が広がる。アメリカでの主婦生活のおかげで、誰かに作ってもらうことのありがたみと楽しさをより一層感じられるようになったなと、そんなことを考えた今週でした。
コメントを残す