Life of T

アメリカ・ボストンでの生活のこと


子育て日記「息子の興味に波乗りジョニー」

「僕はありがたいことに幼いころ、ぼーっとする時間があった」子どもの頃から自分のやりたいことがそれなりに明確だったという友人に、なぜ?どうやって?と聞いたときの返答の一部分である。彼は自分の生き方に真っ直ぐで情熱を持っている。わたしのロールモデルの1人である。

ぼーっとする時間か。そういえば、最近受けたカウンセリングでも、思春期に何もしない時間というのが内面的成長に必要であると教えてもらったことを思い出した。だからか、自分のやりたいことがわからなかったのは、とかなり腑に落ちたもんだから覚えている。中学から高校は、水泳と試験、それか現実逃避にゾロか昭仁の推し活しかしていなかった。あはは。

ぼーっとする時間がなぜ自己理解に重要な役割を果たすのか?デフォルトモードネットワークという脳の機能が活性化するからである。この部分が活性化すると、自分に注意が向くようになり、そうやって人は自分自身という概念を作り上げていく、らしい。(「The body keeps the score 」p.92)

アメリカでのプー子生活も無駄じゃなかったんだ、と思った。あはは。という自分のことはさておき、最近は子育てで、そのぼーっとする時間を息子丸にいかに提供できるのか?ということを考えたりしている。

子どもに空白の時間を作り出すのは勇気のいることだと思う。自分自身がやりたいこと探しに苦労しているからいうことはもちろんあるのだが、それ以上に今の社会のあり方、特にアメリカは何をやったかの”レジュメ”が大学受験でかなり重要になり、そしてその進学先の大学が将来の職の選択肢を増やすのもまた現実である。だから、色々な経験を”させてあげなきゃ”という与えるマインドに親は陥ってしまう。(まだ先の話で、アメリカで生きていくかも決まっていないけれど)

理想は、心が健やかに育ってくれさえすればいいともちろん思っているが、子育てにおいて、そういう外部的指標に振り回されてしまう自分が少なからず、確かに、ココにいる。

息子丸はまだ1歳だが、それでも、いい意味で放置しておくことに抵抗を感じる。しまったはずの搾乳機のパーツを1つ1つ引っ張り出してきてはカチャカチャと遊んでいる息子を横目に、本読んだ方がいいかな、とか、会話したほうがいいかな、とか考えずにはいられない。だって次の検診までに3単語言えるようになっておくことが次のマイルストーンだとお医者さんに言われたから。あせあせ。

でも、大抵そういう時に話しかけたり本を読み追いかけても、息子丸の興味はゼロ、無駄なのである。親である自分の不安を押し付けているだけなのである。なのに実際に息子丸が「ごほんよんで」と足元にきたらあとで、と言ったりする。やれやれ。

子育てに絶対はないからこそ、自信がないことは普通のことだと思う。でもその不安は、能動的に“与えない”ことでも解消できる。子どもの内側から出てくるものを大切に育んでいくようなイメージである。

興味関心がなければ次の行動は生まれない。だから、与えられるものは与えた上で、何に興味があるのかをじっくりと観察していくこと、そしてその後は息子丸の興味の波に一緒に乗る、これが自分のできることだと今は思う。

そのために親の自分が介入しない、息子丸のぼーっと、自由にできる時間を作る。と、考えると子育ての不安はいくらかどこかに消えていった。

現実はそう理想的にはいかないだろうけれど、息子の興味に波乗りジョニー的なスローガンで子育てやっていきたいなと考えた今週でした。

(ダラダラと書いたけれど、でも結局自分みたいに、人はどこかで自分の内面と向き合わざるを得ない時期がやってくるから、そんなに親が心配しなくていいとも思ってもいる)



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