赤信号を待っていたときのこと。反対側には、サングラスをかけたスラッとした女性が自転車にまたがっていた。数秒ほど経つと、車の流れがまばらになり、最前の車から横断歩道まで50メートルほどの距離が空いた。するとその女性がイマダッと横断歩道を渡り始めた。信号はまだ赤であった。
50メートルなんて、車だったら、1秒くらいである。(たぶん)ここはNYではないがアメリカ、彼女は当たり前にクラクションを鳴らされた。それみたことか、と眺めていたら、なんと、彼女、運転手に向かって中指をおったてたのである。悪いのはアナタなのに、と心の中で呟きながら考えた。
アメリカ(ボストン)って、路上でプンスカしている人多くないか?今回のように確実に向こうに非があっても、お向こう様に不快な思いをさせたら、中指なのか、両手を仰がれるのか、侮辱なのか(何を言ってるのかはわからないけどとにかく何か怒っていることはわかるヤツ)、攻撃をくらう。
滞米間もないころ、自転車で歩道を走っていたら、とんでもない勢いで罵倒されて、カルチャーショックを受けたことは記憶に新しい。(この場合は自分に非ありなのだけど。あはは。)
なんでそんな些細なことで理性を失い、他人に攻撃的な態度を取るのか。色々な理由はあると思うけれど、最近読んでいる本から、理由の1つを発見した。人の怒りに対して過敏に反応してしまう人が世の中には一定数いる。そしてそれは幼少期に虐待を受けたかどうかが1つ大きな要因となるということである。
ウィスコンシン大学の研究で、悲しみから怒りの連続した表情の写真を、虐待を受けた子、受けていない子の両グループに見せ、その反応を比べた。虐待を受けた子どもは、受けていない子どもに比べて怒りに対する感受性が非常に高いということがわかったという。虐待を受けた人は他の人たちよりも怯えやすく、防御的になりやすい。(「The body keeps the score」p.116)だから、怒る。
アメリカでは、7人に1人(以上)の割合で子どもたちが児童虐待に苦しんでいるという。(CDCより)これには貧困とか離婚とか軍人制度とか薬・アルコール中毒とか色々な要因が複雑に絡み合っている。
話は逸れるけれど、日本も厚労省のデータで令和5年は過去最多の件数だったとか。理由は孤独な子育てによるものが多く、またアメリカとは違う事情がありそう。この間も、ある母親が児童相談所につらいと相談しその次の日に子供を殺したというニュースを目にして胸がギリギリと痛んだ。
それぞれの人がどんな風に育ってきたのか、街中で出会うだけではわからない。だから、そういう可能性を念頭に置いておきながら、とにかくそういう場面に出くわしたら、自分が攻撃されたと思うのではなく、相手が必死に自分を守ってると捉えるのが自分の精神衛生上はいいかもしれない。
路上のピリピリ感は、アメリカの社会的背景によって怒りに敏感な国民が多いから、という私的な偏見満載の仮説でした。
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