Life of T

アメリカ・ボストンでの生活のこと


暇潰日記「空気に頼らない人間関係」

「17時までは一緒に時間過ごせるよ!」なんてことない、むしろとってもフレンドリーな有難いやりとりにじわじわわっとストレスホルモンが放出されるのを感じたある日のこと。

13時に待ち合わせをしていた。その子と会うのは数年ぶり2、3回目。ストレスを感じたのは、息子がいる状況で、17時まで一緒に時間を過ごすのはちょっと難しいからである。

最近、友人と食事をした際に息子が飽きてしまい、ぐずって、全く会話に集中できなかったので、息子同伴で友人と会うことへのハードルが上がってしまった。重ねて、正直に話すと、自分が子どもがいなかった頃、子ども連れの友人のコントロールできない状況に戸惑った経験から、同じ思いをさせてしまうと思うと気が重くなるということもある。

「その子の期待に応えられない」という罪悪感が、「なんでこの状況をわかってくれないんだろう」という相手にとっては全く持って理不尽な憤りに変わっていたのである。えへへ。

息子の足を持って逆さにぶらぶらする遊びをやっていた時のこと。終わったら、「もっとぉ」と満面の笑みで寝転びながら足をこちらに向けてくる息子に対して、そのキャワイさに負け4回くらい続けてやってあげたあとに、「もっとやりたいのはわかるけど、いまママ後片付けしなきゃいけないから、永遠にはできない。また今度ね」と伝えた後にハッとした。

説明すればいいだけなのである。息子が眠くなったりお腹空いたり飽きたりで、息子の体力的にも、自分の体力的にも、会えるのは1時間半から2時間くらいだと思う、と伝えればいいだけの話なのである。

その説明に負担を感じるから、勝手にぷんぷんし始める。負担を感じるのはなぜか。・・・・・たぶん、日本人間のコミュニケーションでは常に「空気」というクイズが存在するからである。何かを説明するためには、そのクイズを解かなければならない。そしてそのクイズが容易になるか否かは出題者(発信者)の情報量に委ねられ、その情報量が圧倒的に少ない場合、その難問を解く全責任は受信者に委ねられる。(なんとえぐい文化)

今回、ストレスを感じたのは、状況説明にあたり、17時という時間設定の友人の本気度、そして友人の子ども耐性という未知の難問が降りかかってきたからである。あはは。

でも結論、そんなこと考える必要はない。この日本文化はグローバルスタンダードではないし、日本人相手でもどの国の人相手でも、わからないならわからないでこちらの状況を真摯に説明すれば、ほとんどの場合、理解を示してくれる。そしてその理解を示してくれたという経験は、関係をより強固なものにしてくれたりもする。

不安で仕方なかったその子との数年ぶりの再会は、説明をしっかりしたおかげで、ホクホクと幸福感の満ちたものになった。

昔、子連れの方々に対して戸惑っていたのは、その場をどうやりすごしていいのかわからなかったからである。子ども連れの母として、今思うのは、その状況の説明を事前にしておくだけで、自分も相手もより心地の良い時間を過ごせるのだろうということである。耳ならぬ口が痛くなるが、口を痛める価値はきっとある。



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