「とにかく何か食べないと。ちょっとくらい太ったっていいのよ。あなたもう母乳はやめたのかもしれないけれど、まだ身体が枯渇しているのよ。」祖母から急に電話がかかってきた。息子と写った私の写真を見て、顔がヘナヘナだと心配してくれたようだ。
日本時間夜の11時。心配だと思ったら、ちゃんと行動を起こして言葉を伝えてくれる祖母に、体調不良続きで弱った心が泣いた。
「わたしもね、疲れていてなんにもできない日があるのだけどね、栄養はちゃんと取ろうと心がけているのよ。今日はね、春キャベツとお大根とひき肉を買ってあったから、それでロールキャベツ作ったのよ。それだけだと足りないと思って、ベシャメルソースも作って、ロールキャベツにかけて食べたの。」
「なにか簡単なメニューあるかしらね。野菜スープに卵落としたり。ポタージュなんかもいいじゃない。」「でもポタージュみたいなものって作るのエネルギーがいるから、なかなかそこまで辿り着けない(メソメソ)」「わかるわ、わかるけど、でも作るのよ。栄養を摂ることが何よりも大切なんだから。」この後もラインで簡単に作れるメニューのアイデアをたくさん送ってくれた。
友人が以前、何かの映画の感想で「たくさんお食べ」はアジア人のラブランゲージだと言っていた。(激しく同意したので覚えている)たしかに、食べなさいという言葉には、他の言葉にはないチカラがある。
「たっぷり寝るのよ」と比べるとわかりやすい。「寝るのよ」になくて「食べるのよ」にあるもの。それは母なる包容力である。食べるのよ、という言葉には、相手を想って料理を作る誰かの存在がある。傷ついて帰った時にいつも通りご飯を作る母の姿、涙でしょっぱくなったごはんの味、食卓で慰めてもらった時の安堵の気持ち、そういう何か、温かい記憶が蘇ってくる。
食べることで、何かの問題が解決するわけではない。でも、祖母のまっすぐな心遣いと奥深くに眠った温かい記憶が枯渇した心に染み渡った。心があるべき場所にもどった。

あぁ〜しんどかった!でも今はもう元気です。また1週間、体調崩さずに過ごすことが目標です。91歳ひとり暮らしでロールキャベツを作る祖母に勇気をもらったお話でした。
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