Life of T

アメリカ・ボストンでの生活のこと


滞米日記「教えることは学ぶこと、クロールの呼吸習得への道」

「疲れた」と教え子の女の子。「じゃあちょっと休んで、あそこまででいいから頑張ってみよう」水泳のレッスン中、最近はその繰り返しであった。

クロールの呼吸を楽にすること、これが今の課題なのである。なんとか補助なしで泳げるようにはなったけど、呼吸が苦しくて泳ぎ続けられない。初心者にとって、クロールの呼吸はかなり難しいものだと想像する。鼻や口に水が入るかもしれないという恐怖を抱えながら、キックを打ち続け、手を回し、頭を動かし、息をする。これらを全て、慣れない水中で数秒の間に行わなければいけない。なんというマルチタスク!

一応、自分なりにタスクを細分化しながら1つ1つの動作が無意識にできるようになってから次は2つの動作にして、、とやってはいるのだが、現実は理論的には進まない。ピアノで右手と左手が完璧にできるようになったからといって両手合わせて弾けるようにならないのと同じである。それに何より、同じことをやり続けていても子どもは飽きる。

「呼吸時は肩を枕に耳つけて」「キック打ち続けて」「頭のつむじを進行方向に」「キックキック!打って打って打ってー!!」「あ、次頭頭、つむじどこ向けるんだっけ?」「キック、足が開いてるよー!」・・・それで、「疲れた」となるわけである。(そりゃ疲れるわ)

文字通り、身体的に疲れているのももちろんあるだろう。(キックひたすら打たせているから。あはは)(そういうわたしは2ビートしかできないのはヒミツ)でも多分、それ以上に、意識すべきことが多すぎて圧倒される気持ちだったり、うまく泳げない自分への苛立ちだったり、恥ずかしさだったり、絶望感だったり、そういう気持ちから出た言葉でもあるのだろう。指導者としても苦しそうにする彼女を前に不甲斐なさも湧いてきた。どうしたらいいのかわからず、とりあえず、休んでもらって、ゴール設定を簡単なものにすることしかできなかったのでアール。

そんな燻っているある日のレッスンで、弟くんが僕も教えて欲しい!とぐずり始めてしまった。(かわいい)そしてその日はお姉ちゃんの指導を短めにして、弟くんを見ることになった。その間お姉ちゃんは復習で自由に泳いでもらった。

そうしたら、レッスンの終わりになんと、今までで1番綺麗に、楽そうにクロールを泳いだのである。あれ、疲れたのはどこ行った?と思うほど、活き活きとしていた。

ハハーン、これかァ。ある程度基礎を教えたら、手放すこと。子どもの吸収力を信じること。手取り足取り教えることが最善の指導ではない。自分の不甲斐なさで子どもを縛るべからず。教えられる側に立てば、確かに、ずっと先生がついてきてピィピィとこうしろああしろと言われたらパニックにもなる。面白くもなくなる。自分だったら、ちょっと待ってくれ!やらなきゃいけないことはわかってるからァァァ!!!とキレる。あはは。

そんな反省をしたある日の出来事でした。



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