「口に入れば一緒でしょ」と食事の盛り付けを軽視して生きてきた。でもそれは、すっぱい葡萄の木のお話のように、うまく盛り付けできないことへのコンプレックスの裏返しだったように思う。あはは。
そして盛り付けがうまくできなかったのは、多分その動機が不純だったから。素敵なものを作ってると思われたい、とか、料理うまいと思われたいとか、そういう、他人の評価起点の動機が少しでも顔を出すと、アワアワとネギを盛り付ける手が震える。トマトをどこに置いていいのか分からなくなる。そして画家が自分の絵をぐちゃぐちゃに塗りつぶすかのように自分の心に、(口に入れば一緒一緒、”他人に”美しく見えるかではなく、その料理が美味しいか、や愛がこもっているか、が重要なんだ!)と言い聞かせ続けてきた。
ある日のこと。ふと、盛り付けに向き合ってみようかな、と思った。いつもの日常にアートを見つけるのがうまいNY在住の友人がいて、そのストーリーを眺めながら、わたしも料理にアートを楽しむ気持ちを少しでも持てたらより日々が楽しくなるかもしれないという気持ちが育っていった。そんでもって至ってシンプルなレシピの時に盛り付けを“楽しんで”みた。



そうしたら、「今日はご馳走だね」と夫が言った。おおお恐るべし盛り付けの力。パチパチ。ただ盛り付けただけのサラダと、オーブンで焼いただけの野菜と、簡単なトマトパスタだったのに。シンプルで、手間もかけすぎず、満足度の高いごはんを作ることができたことへの高揚感がすごかったァ。
素敵な料理を作れているか、ではなく、”自分が”心踊る食卓にできてるか、に焦点を当ててみることが大切なのかもしれない。そうしたら、盛り付け時に手が震えなくなった。笑い。
後日談、せっかくだからと、小説家であり画家でありミュージシャンであり、THEアーティストである辻仁成氏に、盛り付けのコツをラジオで聞いてみた。(彼の日記は見てる(読む)だけでうっとりする。)卵の滴りやソースが絡みあう等のシズル感と色のコントラストを駆使して美味しそうだなと想像力を掻き立てる演出がカギ、だそうです。小説家の彼曰く、着物の裾をめくるような、とのこと。ほほーッ。
うまくなくても、自分が楽しめれば、それがいい。シンプルだけど、目でも口でも楽しめるごはんを作れるようになりたい。
コメントを残す