Life of T

アメリカ・ボストンでの生活のこと


読書日記「協調と妥協」

『協調と妥協の差は、協調は、そのことをするまでに苦しみがあるのに対して、妥協は、そのことが終わってから苦しみがある点にある。協調というときは相手の存在だけでなく、自分の存在も生きていかなくてはならない。両者をぶつかり合わせて、どうしようかと考えるところに苦しみがあるが、それを解決したときは新しい局面がひらかれる感じがあり、そこでは両者ともに生かされている。ところが妥協というのは、安易に自分を殺してしまっていることが多く、そこに新しいことが入ってこない、というのである。』ー働きざかりの心理学/河合隼雄 (引用長ァ)

先日夫と、感情のぶつけ合いをした時のことを思い出した。ある出来事に対して、夫がAという感情を持ち、私がBという感情を持っていた。感情の話なのでどちらが正しいというわけではない。私は自称相手の立場に立って物事を考えるのが得意なので(えへへ)、夫の言っていることは理解できたし、賛同する部分があったので、最終的にA’という結論に至った。

でも、夫がなんでAではなく、A’なのかということが腑に落ちなかったようで、その説明がうまくできなかったのである。(Bじゃないんだからいいジャン!と言いたいところ)でも答えは、隼雄さんが言語化してくれた。

Aという結論にすることは、私にとって妥協である。私の感情を完全に殺すことになり、夫との関係に持続可能性がなくなることを予期させた。頭なのか心がそれを全力で拒否していた。あはは。A’の「’」部分は、私が私の心を大切にするために、協調のために、夫との関係を長続きさせるために、必要だったのである。

「最近、自分の嫌なことを嫌と言えるようになってきた」と友達が言った。そのおかげか、恋人とも過去最長に長くお付き合いできている、という。彼女は思いやりが強い上、相手の気持ちを優先して、自分の心に封印に封印を重ね、爆発しちゃうタイプだったのである。(爆発の瞬間を何度か見たことがあるあはは)友人としてうれしい。そして全てがつながった。誰かとの関係を長続きさせたいのなら、自分の心「も」大切にすること。自分が折れることは、実は簡単な選択肢であり、いつかそれがその関係の歪みとなる。そうせざるを得ないことも多々あれど、ビジネスでも家庭でも社交でも犠牲の上に良好な関係は成り立たないと、心の片隅には置いておきたい。

(ちなみに我が家は相手の感情を受け切れないとき、お互いに「許さない」という選択肢を取ることがアール。数日数週間数ヶ月寝れば何を許していないのか忘れるし、無理に相手の感情を受け入れるよりか自分の心を守ることになり、後に暴発することもない。笑い。)

『妥協は――自分が負けることで――勝負が早くつくが、協調は未来に向かって、息ながくやり抜いてゆくものなのである。』



コメントを残す