Life of T

アメリカ・ボストンでの生活のこと


お料理日記「はじめてのおせち作り、たかが4品されど4品」

3年ぶり2回目のアメリカでのお正月、日本の文化をより大切にしたくなる病を発症中である。急にしめ飾りが欲しくなったり。今までなんのための飾りなのかとか全く興味もなく、年始に台湾の友人と日本で合流した時に、あれは何?と聞かれ、お正月に飾る飾りだよ、なんて見ればわかることを言って日本の恥さらしとして活動していたくらいだったのに。(年神さまを迎えるために悪霊を追い払う役割があるそう・・)

しめ飾りは来年手に入れることにするとして。まずはやっぱりおせちでしょう。母が簡単なお重をボストンに持ってきてくれたので、そのお重を埃まみれにするわけにはいかない。(康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない的な)加えて、年末年始、食でさみしい思いをしたくないし、させたくないし、したくない。

本当は落ち着いてコトコト、ズズーッ、ハァ〜っと(お茶をすする音)丁寧な暮らし的な感じでおせちを作りたかったのだけど、まあそんなわけにもいかず。わたしのキャパシティの都合上、当初の予定より大幅カットの4品のみとなったが、栗きんとんを例にどんな感じだったか無意味に振り返りたい。

まず栗きんとんは、お芋をあくぬきに水につけるところからはじまる。レシピには1時間〜1時間半つけおくと書いてある。午前中に水につけ始め、息子のお昼寝時間に、なんて思っていたのに、なかなか次の工程に進めず、結局夜の9時スタートになった。初めてのメニューでレシピからの逸脱、これほど不安になることはない。プールで指がふやけるように芋もふやけているんじゃないかとドキドキしながら水中に眠る芋にタッチ、とりあえず問題なさそうで少し安心した。

次は茹でてお芋を柔らかくするパート。ここはいつもじゃがいもとかブロッコリーでやっているので、余裕なのであった。ふふーん。

問題はここからである。蒸した芋をつぶし、濾すパートなのだが、裏ごし器がない。でも濾さないとあの滑らかな舌触りにはならない。ではどうするか。ざるを使うしかない。形は違うけれど、目の粗さは十分だから、大丈夫なはず。ふう一件落着、と息をつく間もなく、お芋を潰したところで木べらがないことに気がつく。ああそうだ、食洗機に入れたんだ。はあ。これはもうゴムベラしかない・・・想像してみてほしい、丸いざるとゴムベラを使って芋を濾そうとすると何が起こるか。

片手にざる、片手にゴムヘラ。ざる、固定できない。ヘラ、しなる。上から芋を押すわたしの力がどこかへ分散して消えていくのです。(バカなの?)苦肉の策で少し小さいボウルを下に置いてざるを固定してみたものの、まるでマルガリータの塩のようにボウルの縁に芋が集まっていくではないか。アセアセ。落ち着け自分、別に縁に芋がついたっていいじゃないか、ただ後で落ち着いてかき集めてあげればいいだけさと不安で沸騰する心に水を差し、自分をなだめ、無心で作業を続けた。

戦利品

そしてなんとか芋を濾し終えた。ふう。あとは、この濾した芋をみりんと栗シロップと火にかけて、最後に栗を投入するだけだ、なぁんだ簡単ジャンと解放感に満ち溢れていた。ラスボスが控えていることも知らずに。

鍋にお芋入れて、みりんを入れた。さて栗、栗、栗、栗の瓶〜、あったあった〜。・・・・・・イキミッ!なんと。フタが1ミリも動かない。しかしもうみりんを入れてしまったので後戻りはできない。(段取り)まあでも、まだ諦めるのは早い、開かない蓋を開けるための手札がまだたくさんある。まずは、一呼吸おいて、もっと踏ん張る。ンンンンー!!!と5秒くらい粘った。びくともしない。このわたしの怪力(?)を持ってもびくともしないとは結構やばいぞと思い始める。説明書きには「蓋を下にして平らなところに10回ほど叩きつけるとよい」と書いてあるが、息子がスヤスヤと眠る中、できるはずがない。説明書を投げ捨てる。そしてとりあえず、夫を召喚した。2秒ほどいきんで「無理だねこれは、諦めな」とあっさりとわたしに瓶を戻した。そんなァと、科学者の観点でどうにかならないんか?と尋ねてみた。「蓋か瓶かどちらかを冷やすか温めるか温度を変えたらいいと思うよ」頼れる我が家のSTEM担当である。膨張がナントカと教えてくれた。ハハハハハァこれはもう勝ったと、ボウルにお湯を入れて蓋部分を温める。そしてンンンー!とまた踏ん張る。・・効果はいまひとつのようだ。じゃあこれはどうだ、蓋をカンカンカンカンとスプーンで叩いてみる。もはや息子が起きようがなんでもいい。カンカンカンカン無心で叩く。しかしこれも効果はゼロ。これは最終手段、ゴム手袋を取り出すときが来たかもしれない。

たしかトイレの横の袋にあったよなと、ゴム手袋を取り出す。もはや掃除用だとかどうでもいい。そして絶望した。無駄に表面サラサラで、何の役にも立たないやつだった。栗きんとん、わたしの初おせち、散る。もうこれで最後、これでダメだったら、諦めよう。わたしの中の眠れるゴリラを呼び起こした。ンンンンンンンンンンンウホオオオオと10秒くらい身体をよじり頭で湯が湧くほどの勢いで踏ん張った。そうしたら、ポン!とあいた。地味なダメージの蓄積が勝因と見た。

パンパカパーン あいた

めでたしめでたし、ということで栗きんとんが無事に完成した。全てがこんな感じで、瓶は開けとこ栗きんとんに加え、3日煮込黒豆、紅ピンクおなます、超ロングフーカデンと、たかが4品されど4品、それぞれにドラマが生まれたのであった。そしてお重3段は埋められず、前日の夫の誕生日に作った唐揚げで1段埋めたった。夫は唐揚げ弁当だァと喜んでたけど、あくまでもおせちである。

パチパチ

栗きんとんは、財をなすため。黒豆は達者にまめ(健康に)に暮らせるため。おなますはお祝い事のしるしとして。フーカデンは大祖母からのお正月の味。アメリカでは除夜の鐘はきけないし、初詣にも行けないし、駅伝は見れないけれど、おせちを少しでも食べられただけでも、自分たちの原点を大切に新しい1年をスタートできた気がします。今年もおいしいもの作って食べてがんばりましょう〜



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