数週間前、大坂なおみ選手が産後の自身の身体を恥ずかしく感じた時期があったと語ったInstagramでの投稿を目にした。そしてじわじわと自分の産後の体型との戦いの記憶がフラッシュバックしたので、それを今日は記録がてら書いていこうと思う。
わたしの場合、体型の変化を認められず、意地で妊娠前と同じ服を着た。あはは。そして腹回りの脂肪を全てズボンに詰め殺し、無かったことにした。(フウ)それでもイスに腰掛けるたびにジーンズから脂肪がコンニチワと悲鳴を上げるので、現実に引き戻された。ボタンには申し訳ないことしたな、といまは反省している。
そして妊娠中、母親学級をしてくださった日本人の助産師さんから、腰回りの脂肪は母乳で落ちると聞いていたので、とにかく必死に搾乳した。結果、退院数日後には片乳で45mlくらい出るようになった。お医者さんに伝えたら、45ml?!と驚かれ、あれ、やっぱり30mlだったかもですと訂正した。そして幸い、順調に体重が落ちていった。それでもマダマダァと調子に乗ってミーギ、ヒダリ、シュッポ、シュッポ、と搾乳を続けた。母に一心不乱にやりすぎじゃない?と言われた。無視した。結果、母の指摘通りミルク供給過多になり乳腺炎になった。辛すぎて、もう搾乳はやめた。
実母と義理の家族のサポート期間が終わり、日中ワンオペになり、良いのか悪いのか優雅に料理、食事をする時間がなくなったおかげでまた体重が減った。しかしこれでは飢え死んでしまう、とある日コストコで特大マフィンを12個お買い上げした。(6個入りのパックがBUY1GET1フリーなのがギルティ)これがね、手軽で美味しいのです。お腹にもたまるのです。ブルーベリー、プレーン、チョコレートと3種類ある中で、お気に入りはチョコレート。毎朝トーストして食べた。するとまたみるみると顔が丸くなり、今までの努力がおじゃんになりかけたので、これはアカン、と封印した。
だいぶ体重が戻ってきたところで、そろそろいいのでは?とアメリカでみんなが着ているようなスパッツを履いてみた。(スパッツ)ちなみに、わたしの自分のボディイメージは競泳選手時代のもので止まっている。(更新しろ)腹筋は6つに割れていた。そのボディイメージのまま、鏡に向き合ってしまった。(バカである)幻滅した。(そりゃそうだ)ちんまりとわが脂肪たちがスパッツの上にお座りしているのである。これは現実じゃない、目覚めよわたしの6パック!とフンっとお腹に力を入れても微動だにしない、その怠惰な脂肪たちに心底がっかりした。
それからは、鏡で自分の体型(現実)を目に焼き付けることから始めた。むかし、俳優の長澤まさみがテレビか何かで、「家では裸でいる、それが体型を維持する秘訣だ」とか言っていたけど(記憶がどこかでねじ曲がっている説濃厚)、まさにそうだと思う。自分の受け入れ難い身体を見る頻度が増えれば、自然とバランスのとれた食生活に運動習慣に、この現実をどうにかしようと行動できるものだ、と思っている。で、ちょうどよくアパートの誰かが廊下に鏡を捨てていたので、それをホクホクと我が家へ持ち帰った。そして玄関横の、キッチンに立つと自分の全身が見える位置に特大の鏡を置いた。しかしその位置に鏡があると玄関のドアを全開にできなくなるため、夫に邪魔だ邪魔だと言われ続けた(確かに邪魔だった)。理由も言わず抵抗し続けたのだが、先日その押しに負けて、鏡は寝室へと移動した。一応伝えておくが、わたしは裸で料理はしていない。
骨盤周りの脂肪、お腹の皮、重力に負けたお尻、消えない妊娠線、抜けまくる髪、太くなる腕。出産での身体の変化は避けては通れない。全ては赤ちゃんのため、勲章である、とは言っても自分の身体がコントロールできない部分で変わっていけば誰もが戸惑うと思う。なのに、無意識にその感情を押し殺してしまっていた。子どもより自分の姿形の方が大事なのか?という疑問がどこからともなく湧いてくるからである。いやいや、子供のことはもちろん、自分の姿形も大事なのである。親である前に人間だもの。頭ではわかっているけど、その戸惑いは声を大にしていえるものではない。でもこうして大阪なおみ選手のような影響力のある人が本音を曝け出してくれると、そのがんじがらめになった葛藤がするりと解けていく感覚になった。もちろん出産前の方が気になるところが少ない身体だったけれど、今もヴィンテージな、味のあるお身体だと思えば悪くない。何より、歩くこととか、自重トレーニングとか、健康的な食生活とか、息子が生まれてからの方が、自分が健康でいられるための生活習慣が身についた。
どっちがいいとか悪いとかではなく、それぞれの状況での自分の身体の愛し方があるものだなぁ、なんてね。
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