Life of T

アメリカ・ボストンでの生活のこと


特別エッセイ「父と私の6畳一間」

ただいみゃ~、と酔っ払いの父が帰ってくる。恥じらいもなくスーツを脱ぎ捨て、下着姿で「あ~疲れた疲れた、なんかお腹減っちゃったな、タカちゃん、ピザでも食べる?」とわたしの答えも聞かずにそこら辺に置いてあったピザ屋さんのチラシを手に取り電話をかけ始める。夜の23時である。「なんだ、やってないじゃん、ちぇっ~」と、そのまま敷布団に横たわり、携帯を見ながらへへ~と笑い顔を浮かべたと思ったらいつの間にか大いびきをかいて寝ている。はあ。ワンルームマンション、6畳一間、わたしと父の日常だ。わたしが備え付けのベットに、そして父は床に敷布団を敷いて寝ている。

父はいわゆる昭和のサラリーマンだ。仕事で家にはほとんどいなかったし、休日にいたとしてもテレビの前のソファに寝転び野球観戦をしている。(寝てたくせに、テレビを消すと、見てたのに!と怒るやつ)そして巨人が負けると、あ〜サイアク!と1人でプンスカしていた。たわいもない会話をした記憶はあまりない。食事中にテレビをつけようとしてはいつも母に怒られていた。一緒に通学通勤しても1人で何かぶつぶつと呟いていた。(のちに商談の練習だと知る)たまに一緒に泳ぎに行けば指導に熱が入りすぎて、子供に恐れられる。そんな不器用な父と、大学を卒業して、会社で働き始めてから、こんなに狭い部屋で一緒に暮らすことになるとは想像もしていなかった。

とはいえ2人での生活は、意外と上手く回っていたように思う。わたしが父の布団の周りのダイエットコーラや揚げせんべいのゴミを回収する日もあれば、わたしの髪の毛が詰まったお風呂の排水溝を父がきれいにすることもあった。問題は、酔っ払った時のだる絡みと夜のいびきだけだった。酔っ払いの父は面倒くさい。酔っ払った父が帰ってくると、いつも母が嫌な顔をしていたのが今になって理解できる。しかも、からの、いびきが地獄である。眠れたもんじゃない。だから、なるべく父の帰宅までには寝ていたいのだけど、そうもいかない日もある。そういう時は、絶望を感じながら、寝ているふりをするに限る。

そうしたらある日、チクショー、チクショーと永遠に悔しがっていた。ある日は、「タカちゃんはいいねえ気楽で」と言われた。気楽じゃないわい、こっちだって色々大変なんだい、とムカっとした。ある日は、「タカちゃんには看護師になって欲しかったんだよ、タカちゃんに死ぬときに看取ってほしかった」と言われた。何を今さら。記憶があるのかないのか、好きなだけ自由に呟いて、いつの間にか本人は先に寝ている。そして爆音でいびきをかくものだから、うるさいだまれ、とベットから足を伸ばして床に横たわった父の身体を思いっきり蹴る。でもそこには、今まで聞いたこともない、父の本音が詰まっていた。

たまに、父の方が早く帰宅している日もあった。ある日は、敷布団の上にパンツと下着、いつもの格好で座り込み、珍しく老眼鏡をかけながらプレゼン資料を目の前にぶつぶつと呟いていた。電話以外の仕事をする父を見るのは初めてだった。

父との共同生活は、わたしの結婚とともに終わりを迎えた。入籍の日、夫の実家へ向かうために父に車で駅へ送ってもらった。その時にさりげなく拭っていた涙の意味は、あの6畳一間のワンルームが教えてくれたように思う。



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