Life of T

アメリカ・ボストンでの生活のこと


暇潰日記「辻仁成氏の文章教室に参加してみた」

書くことが人生を豊かにする ー 我が心の師、辻仁成氏が文章教室を開催するというから、受講してみたの巻。ブログも始めたし、受けるしかない。文章の書き方だけでなく、豊かな生き方のヒントも詰まっていたから楽しくて仕方なかった。

この文章教室には課題がある。今回は、衣食住の住、つまり居住空間についての自由なエッセイ1500文字以内だった。正直、課題に取り組むかは迷った。課題はやった方がいいに決まっている。ただ、この子育てのバタバタ中、締切日までに満足なものが書ける自信がなかった。別に課題提出なしでも参加OKと書いてあるし、無理してまで書かなくてもいいよね、と何度も揺れた。諦めがたいのは、辻先生が全ての課題に目を通すということ。これは、辻ファン、いや、辻信仰者として、見逃せない大特典であーる。あわよくば教材に採用されて直々に添削してもらっちゃったら・・・うふふふふぅ・・・なんていう妄想が止まらなくなり、書き上げることを決心した。

提出期限直前の平日5日間かけて、息子のお世話の合間を見て書き上げた。ただ、よし、これで提出するぞ、と思ったら、問題が発生。提出フォームが機能しない。送信ボタンをクリックすると、読み込み中のマークが永遠に回って消えない。嘘でしょ、わたしはなんのためにこれを書き上げたと思っている、辻先生に読んでもらうためだぞ。ペンネーム、タカちゃん、タイトル、父と私の六畳一間、ファイル、添付、送信、クリック、を狂気的に繰り返した。ダメだった。もうこれはお問い合わせフォームにクレームするしかない、とそのフォームにカタタタタァと苛立ち音とともに状況をまとめ、送信をクリックした。そうしたらまた、同じことが起こる。フォーエバー読み込み中。くそう。パソコンの再起動、VPN接続、できることは全て試した。それでもダメだった。だから、主催者のサイトに載っている有効なのかも不明なアドレスに「頑張って書いてみたのでもし辻先生の目に触れることがあれば幸いです」と自分のエッセイを添付して送っておいた。

結局、送ったメールに返信は来なかったし(毎日何度もスパムボックス確認した)、授業の教材にも選ばれなかった。それでも、やっぱり、課題を書いたことは無駄じゃなかった。書いたからこその学びをちゃんと、得ることができた。

先生は、”魅力的なエッセイは、関係のない人が読んでも、誰もが自分の人生とリンクさせられる”と言った。他人は自分の思い出話には興味がない。その思い出が、人生の中でどういう役割を果たし、どういう影響を「今」に与えているかを書く必要があると。・・・我が耳、いと痛し。自信を持って送ったはずの自分のエッセイをビリビリに破って捨てたくなった。あのメールの送信、取り消しにしたぃ。(届いていないだろうけれどね)

耳はヒリヒリと痛むが、これが学ぶということである。もし、課題を書いていなかったら、きっと先生の話を聞いて、そりゃあそうだよね、思い出話だけなんか書くわけないジャン、自分は大丈夫、なーんて思っていたと思う。自分の行きたいところがあるならやっぱり足を踏み出すに限る。足を踏み出したら、行先は、例えば、足ツボ石だらけでめっちゃ痛いかもしれない。でも、その痛みが、そこを抜け出そうとする原動力になる。踏み出さなければ、なぜ人がその足ツボ石に痛がっているのかを理解できない。ただの丸い石じゃんね。だから、目的地が近く見えたりする。ここで重要なのは、その人は目的地に一切近づいていないということであーる。はい。傍観者でなく、もがきながらその足ツボ石を乗り越えていく人でありたいね。そこには軽い足といううれしい未来が待っている。とかいって・・・精進します。



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